突然ですが、どうやら花火を見る姿は万国共通らしく、日本人固有のものだと思っていたぽーっと空を見上げるあの格好、どこの国の人がやっても風情があるようです。
みんな何を思って空を見上げているのでしょうか?
純粋に綺麗だなと思っている人、子どもに見せてあげようとする親、数日前の失恋で傷ついた心に沁みている人、屋台のフランクフルトのことを考えている人もいるでしょう。
人それぞれ考えていることは様々ですが、空に上がった花火を見ている時は街全体が何か喜ばしいものをみんなで共有しているような、そんな一体感に包まれている感覚になります。
多民族が集まるマレーシアでもそのような感覚になったのは不思議な気持ちでした。
一方、「こんな住宅街で花火を上げてしまって大丈夫なのか?」と心配になってしまうほど、街のど真ん中であげられる花火。きっと迷惑している人もいるだろうと思っていたら、やはりいました。しかもすぐ近くに。なんとチャイニーズニューイヤーの期間中、家族でマレーシアに滞在していたWORLD FESTIVALの近藤がこの花火の被害にあった1人だったのです。
やっとの思いで寝かしつけた子ども達を一瞬で眠りから覚ます花火の轟音は、花火のもつ感傷的なイメージとは程遠く、物心つく前の子どもにとっては悪魔の叫びであり、小さい子を持つ親にとってはまるで戦いのファンファーレ。
とはいえ、街の中で花火や爆竹を行う理由には、悪霊を驚かせて追い出すことで新年の安全を願うというきちんした(?)文化的背景があるらしく、誰にも苦情を言うこともできない。
雷鳴のごとく突発的におこる花火には「今から花火上げますよ」なんていう親切なアナウンスや打ち上げ事前通知アプリなどもちろんなく。親たちは期間中、来る日も来る日も戦いに備えているのかもしれません…。
さて、そんな賑やかなチャイニーズニューイヤーですが、マレーシアには他にも新年のお祝いがあり、なんと1年に4回の新年のお祝いがあるそうです。
イスラム教徒の「ハリ・ラヤ(Hari Raya)」、中華系民族の「チャイニーズニューイヤー(旧正月)」、ヒンドゥー教の「ディパバリ(Deepavali)」、それからお馴染みの1月1日。
今回、我々がクアラルンプールに訪れた時期はチャイニーズニューイヤー真っ最中。
街の中心部では大きなイベントが行われていました。
屋台の食べ物、飲み物は全部無料。しかもどれも絶品です。
ふと訪れた旅人にも快く振舞ってくれるなんて、太っ腹だなぁと身も心もホクホクしていると、このイベントが中華系の人々だけではなく様々なタイプの人によって作られていることに気がつきました。
司会は英語で行われ、料理は様々な食文化がミックスされている。ステージ上ではベトナムチームがポップな踊りを披露したかと思えば、インドチームが伝統的な民族楽器を鳴らし、今度はイギリスを感じさせる楽隊が行進してくる。世界中の祭りをごちゃまぜにした、まさにWorld Festivalな様相を呈していました。
よくよく考えると、もともと中華圏の文化が様々な人たちによって作られているのは興味深い光景です。
現地の人に話を聞くと、マレーシアにも実はまだまだ根深い問題として宗教間のいざこざが存在しているようで、「様々な人を受け入れるべきだ」と言うは易く行うは難し。
そのことを彼らは知っているからこそ、長い年月をかけて、あらゆる人を受け入れていく文化を醸成してきたのかもしれませんね。
花火に彩られた街を散策しながら、そんなことを考えさせられました。